普段の気になった事や興味のある事を書いています。

hisaの何でもブログ!

サッカー

サッカー日本代表歴代ユニフォームはどれが一番好き?

みんさんこんばんは

今回はサッカー日本代表の話題です

日本代表2018ロシアワールドカップ出場決まりましたね!

ここで最近また新しく日本代表のユニフォームが一新されました

歴代”サムライブルー”のユニフォームがどのように変わっていったか、ユニフォームのコンセプトやその時の状況もお伝えできればと思います

スポンサーリンク

サムライブルー歴代ユニフォーム

2017-2018年(adidas)

ロシアW杯に向けてリリースされたモデル。2017年11月のヨーロッパ遠征から投入された。日本の伝統色である深い藍色を意味する”勝色”をベースカラーにとし、歴史を紡ぐ糸をイメージした「刺し子柄」を採用。青×紺×紺というコーディネイトも新鮮に映る。


乾 貴士

2017年(adidas)

「ジョホールバルの歓喜 20周年記念」の位置づけで、サポーターに最終予選ラスト3試合への熱量を喚起させるコンセプトモデル。予選イラク戦に向けた強化試合シリア戦1試合限定着用。

デザインはコンセプトと乖離している部分も多く、袖の炎モチーフは、歓喜の岡野(炎Ⅰ)モデルではなく、フランス本大会(炎Ⅱ)モデルと同じ大きさ。ジョホールバルとは全く関係ない2010年モデル風の襟元の赤のパッチは、ごった煮風デザインに拍車をかける。

久保 裕也

 

2015-2017年(adidas)

ロシアW杯2次予選11月シリーズから、ニューモデルが投入された。「調和と個性」をコンセプトとしたナイスデザインのモデル。ハリルホジッチ監督に率いられ、ロシアW杯を目指す。最終予選からは原口、大迫、久保らが台頭し、長らくチームを支えてきた本田、香川、岡崎、長友らとの世代交代&融合が進められている。

柏木 陽介

スポンサーリンク

2015年(adidas)

アジアカップ敗退後、アギーレ監督は過去の八百長疑惑により解任され、3月に就任したバヒド・ハリルホジッチ監督の下でロシアW杯予選を戦うチーム。

山口 蛍

2015年(adidas)

アジアカップ着用モデル。AFCから貸与されたアジアカップチャンピオンバッジを中央に配し、ゼッケンとネームをゴールドにしたモデル。

 

 

森重 真人

2014-2015年(adidas)

失意のブラジルW杯後、アギーレ監督が就任しアジアカップに向け強化を進めるチーム。武藤や柴崎などのニューフェイスとW杯組の融合を図っている。

武藤 嘉紀

2014年(adidas)

ブラジルW杯着用モデル。右袖にW杯パッチ、左胸の協会エンブレム下にマッチデープリントが入る。本田(ACミラン)、香川(マンチェスターU)など過去最多の海外組を擁し、「自分たちのサッカー」で前大会を超えるベスト8を目指したが、初戦コートジボワール戦で逆転負けを喫すると修正が効かず、ギリシャ戦はスコアレスドロー、コロンビア戦は1-4と勝点1のグループ最下位で大会を去った。ブラジルをリスペクトしたイエローのアウェイモデルは、結局ブラジルのピッチに現れることはなかった。

本田 圭佑

スポンサーリンク

2013-2014年(adidas)

ブラジルW杯に向けてリリースされたモデル。2013年11月のヨーロッパ遠征から投入された。悪評高かった前モデルと比べ鮮やかなブルー、シャドーで入った11本の光彩とシンプルなデザインとなった。蛍光レッドで背中に毛筆タッチで描かれた一本線は、試合前に円陣を組んだ際にひとつの大きな輪となるようにデザインされている。着用初戦のオランダ戦で「日本代表史上最高のゴール」の呼び声高い本田のゴールが決まり、期待感が高まった。

大迫 勇也

2013年(adidas)

コンフェデレーションズカップ2013着用モデル。ブラジルをイメージしたイエローのナンバーを採用した。第1戦(ブラジル)、第2戦(イタリア)ではアウェイモデルが着用された為、第3戦(メキシコ)のみの着用となった。

前田 遼一

2012-2013年(adidas)

ブラジルW杯最終予選に向けてリリースされたモデル。2012年1月のアイスランド戦で初投入された。コンセプトの「結束の一本線」のモチーフ、ジャパンDブルーと名付けられた深い青と肩部の青の切替え、共に賛否両論を呼ぶ。歴代の日本代表モデルのみならず世界のサッカーユニフォームの歴史でも異彩を放つデザイン。

香川 真司

スポンサーリンク

2011年(adidas)

9月2日のブラジルW杯アジア3次予選・北朝鮮戦では、ワンマッチ限定のゴールドナンバー&ネームモデルが着用された。

2011年3月11日に日本を襲ったマグニチュード9.0の大震災の影響でモンテネグロ、ニュージーランドとのテストマッチは中止となり、代わりにJリーグ選抜(TEAM AS ONE)とのチャリティーマッチが組まれた。その試合で着用された「がんばろうニッポン!」のメッセージ付きモデル。試合は遠藤、岡崎のゴールで2-1で日本代表が勝利を納めた。

2011年(adidas)

ザッケローニ体制になって最初の公式戦アジアカップ2011カタール大会着用モデル。右袖に大会パッチ、左袖にFIFAフェアプレイパッチが付く。初戦ヨルダンには後半ロスタイムにドローに追いつき、シリアには退場者が出るも競り勝ち、サウジアラビアには5-0の大勝でグループリーグ首位で準々決勝に進んだ。準々決勝では、香川の活躍でホスト国カタールに逆転勝ち、準決勝では宿敵・韓国をPKで降して決勝に進んだ。決勝では延長の末、李忠成の決勝ゴールで見事優勝を飾った。

2010年(adidas)

世界を驚かせたベスト16を成し遂げた南アフリカW杯着用モデル。右袖にワールドカップパッチ、左胸の協会エンブレム下にマッチデープリントが入る。初戦カメルーン戦、本田の決勝点を守り抜いて海外W杯における初勝利を挙げると、オランダには最小失点で切り抜け、決戦となったデンマーク戦では本田、遠藤のFKが炸裂、さらに後半岡崎が追加点をあげ3-1で勝利し、見事グループ2位で決勝トーナメントに進んだ。ベスト8を賭けたパラグアイ戦では延長120分スコアレスドローの後、PK戦で涙を呑んだ。

2009-2010年(adidas)

世界ベスト4を目指す「SAMURAI BLUE」が南アフリカW杯で着用するモデル。2009年11月9日にまずホームモデルが発表され、11月14日の南アフリカ戦から着用された。

中村 俊輔

スポンサーリンク

2008-2009年(adidas)

岡田JAPANと共にデビューしたモデル。コンセプトは「日本魂」。明るめのブルーにポイントカラーの黄色が映え、飛躍を表すラインが下から上に伸びている。1年半にわたる南アフリカW杯予選で着用された。オーストラリアやバーレーンとの苦闘を乗り越え、4大会連続で本大会出場を果たした。

稲本 潤一

2006-2007年(adidas)

ドイツW杯後、監督にオシムが就任し、次の南アフリカW杯を目指すこととなった。3連覇を狙ったアジアカップではサウジ、韓国に敗れ4位に終わったが、カメルーンやスイスを破るなど期待感も高かった。しかし、オシムが突然の病に倒れ、岡田監督に引き継がれることとなった。

中澤 佑二

2005-2006年(adidas)

ジーコ監督の元、中田英寿や中村俊輔を擁し、ドイツW杯を戦ったモデル。ホームモデルはadidasユナイテッドをベースに、両脇に「刀紋」をイメージしたラインが入り、世界に挑むサムライ魂をイメージしている。初戦のオーストラリア戦で衝撃の逆転負けを喫し、クロアチアにスコアレスドロー、ブラジルに大敗と1勝も上げられないまま、失意の下に大会を去った。

柳沢 敦

中田 英寿

2003-2005年(adidas)

中国アジアカップ、ドイツW杯予選を戦ったモデル。「経験」と「挑戦」を意味する濃淡の青で3本ラインを浮き立たせている。襟部分にはアクセントとして、日の丸の赤を配している。中国アジアカップで奇跡の優勝、コンフェデレーションズカップでのブラジルとの激闘などジーコジャパンの充実期を戦った。

左 中村俊輔 右 遠藤 保仁

スポンサーリンク

2002-2003年(adidas)

トルシエの退任後に就任したジーコのチームは当初「黄金の4人」をキーワードに期待が高まったが、03年コンフェデレーションズカップ、東アジア選手権と今ひとつ調子に乗れないままであった。

2002年(adidas)

日韓ワールドカップを戦ったモデル。地元開催で見事ベスト16に進出した。国土を象徴する海と、スピード感を表す青の生地を組合わせたコンビのデザイン。首元から袖にかけてを彩る赤いラインは、日本の象徴富士山になぞらえている。

鈴木 隆行

2001年(adidas)

自国開催のW杯に向けて予選免除の為、本格的な準備に費やした年。その期待も込めて、1年間限定で着用されたモデル。「サンドニの惨劇」と呼ばれた対フランス戦0-5から始まり、コンフェデでは決勝進出を果たし、イタリア戦1-1のドローで終わるという波瀾万丈な1年であった。 ネックから肩にかけての白の分量が多く、コントラストが強いデザインになっている。

名波 浩

1999-2000年(adidas)

99年4月よりadidas社との独占複数年契約が始まり、その最初のモデル。通称「風」モデルと呼ばれ、ホーム用は99年6月3日のベルギー戦から着用された。99年は初めてコパアメリカに参戦したが2敗1分と惨敗した。その後はトルシエ監督がU-20、U-23チームの監督を兼務し、ナイジェリアワールドユース99やシドニー五輪の活動に比重が置かれたため、フル代表としては、00年10月のアジアカップを圧倒的な強さで優勝したのがハイライトであった。名波、中村を中心としたチームは、今もなお「歴代アジア最強チーム」の呼び声が高い。なおアウェイモデルはフル代表の公式試合では1回も着用されておらず、アジアカップ前のパリキャンプでのみ着用された

1998-1999年(asics)

フランスW杯後、フィリップ・トルシエ監督が就任した。就任初戦のエジプト戦、99年3月のブラジル戦では、asicsの炎モデルが着用された。世代ごとにサプライヤーを持ち回りとするモデルもこれが最後となり、以降adidasの独占契約となる為、asicsのフル代表モデルとしては最後のものとなる。

1998年(asics)

記念すべきワールドカップ初出場を飾ったモデル。しかしそのフランス大会では3連敗を喫した。サプライヤーはasicsが務め、こちらも日本のメーカーとしてワールドカップ初出場を遂げた。デザインは前モデルを踏襲しているが、両袖に入った炎模様が少し小さくなった。左胸の協会エンブレムの下に「FIFA WORLD CUP FRANCE 98」の文字が入る。

中山 雅史

スポンサーリンク

1997年(adidas)

フランスW杯予選着用モデル。加茂監督解任、岡田監督昇格という荒療治を乗り越え、本大会初出場を果たしたモデル。「ジョホールバルの歓喜」は今もなお日本代表史上最高ゲームの呼び声が高い。

1995-1996年(adidas)

5月のキリンカップからサプライヤーがadidasに替わった。この年は大きな公式戦もなく、ハイライトはイングランド遠征くらい。フル代表ではアウェイモデルは一回も着用されなかった。

井原 正巳

小倉 隆史

アメリカW杯予選着用モデル。1次予選では前回出場国のUAEを沈め、勇躍最終予選の地カタール・ドーハに乗り込んだ。宿敵韓国にも競り勝ち、最終戦のイラクに勝てば悲願達成となったが、後半ラストプレーで痛恨の同点弾を浴び、得失点差で出場権を逃した。

三浦 和良

1992年(adidas)

日本代表史上初の外国人監督オフトの下、キリンカップ、ダイナスティカップで着用されたモデル。adidasの既成品を採用した。そのadidasが新たに定めたパフォーマンスロゴが胸に輝き、胸ゼッケンが黄色と斬新なイメージとなった。

ラモス瑠偉

 

まとめ

個人的に日本代表の歴代ユニフォームは2015-2017のイレブンブルーユニフォームか、アメリカW杯予選着用モデルが好きですね!!

こう見ると、日本代表の歴史を感じます。なかなか世界の扉を開けられなかったのが、中田英寿の出現によって開かれ、Wカップ出場、決勝トーナメント出場、まで急成長を遂げましたからね

ラモス、三浦カズ世代⇒中田、中村世代⇒本田、香川世代⇒??

本田、香川、岡崎の「BIG3」世代の後がでてきませんね・・

次世代の日本代表の戦士に期待したい!

おわり

スポンサーリンク

-サッカー

Copyright© hisaの何でもブログ! , 2024 All Rights Reserved.